ひろかづの脳内

時に真面目に、時におふざけ、とある大学生(24)の脳内垂れ流しブログです。

大学3年生(24歳)

はい、どうも。私だ。

 

今日はこのブログを始めようと思ったきっかけというか、これを書きたいがためにブログを始めたんだと言っても過言ではないような内容の記事になります。

 

タイトルの通り、ぼくは現在某大学の医学部保健学科の検査専攻の3年生だ。

しかし、歳は24歳である。

別に大学を浪人したわけではない。(ある意味浪人かもしれないけど、その辺は後で説明します)

 

 

自分がどういった経緯で今の環境に身を置いているのか、

近しい人でも詳細は知らなかったりするし、

旧友はそれ以上にわからないだろうし、

ましてやこれから出会う人にどこから説明すべきなのか。

 

そういうのをこのブログに全部書いてしまおう、という魂胆です。

自己紹介文というには少し長すぎるがそういうもんだと思ってください。

 

 

 

※注意

ここからかなりの長文になります!

興味のない方はブラウザバック推奨です!

それと一部の方を不快にさせるような言葉も出てくるかと思いますが、あくまで個人的意見・感想なのでご了承ください。

 

・現在の自分

まず初めに現在の自分の状況を説明しようと思う。

 

東北大学医学部保健学科検査技術科学専攻に在籍する大学3年生。

さっき某大学と書いたけれど、この後いろいろ関わってくるので公表します。

 

今はもっぱら臨床検査技師の国家資格を取るために勉強中です。

臨床検査技師とはなんぞや。

臨床検査技師(りんしょうけんさぎし、: Medical technologist, Biomedical laboratory scientist)は、病院などの医療機関において種々の臨床検査を行う技術者である。日本においては、臨床検査技師等に関する法律により規定される国家資格である。

古くは医師自らが検査を行っていたものであったが、医療の分業化と検査の高度化が進み、現在の医療臨床検査技師は不可欠の存在となっている。コ・メディカルの一種。

 ざっくりした解説ですね。

 

まあ一言で説明するならお医者さんのサポートと言いますか、

今ドラマでやってる「フラジャイル」、あの森井くんが”検査技師”ですね。

まあ実際はもっといろんなことやってるんですけどね。

 

まあとにかく、この臨床検査技師になるために座学に実習にと奮闘しております。

 

・どうしてこの年齢?

最初に述べたとおり大学浪人はしておらず、高校卒業と同時に大学入学を果たしました。

しかし、現役で合格したのならば3年生現在の年齢は21歳。自分は24歳。はて。

 

実は現在の学籍をもつ前の3年間、

現在とは違う学部で大学生していました。

しかも同じ東北大学の工学部材料科学総合学科

 

ほらほら不思議でしょう。

 

・高校から大学まで

高校生の時は医者になりたかった。

でも頭が足りないと感じ1年生であきらめた。人によってはあるあるだと思う。

 

そこから将来の道を必死に模索し始めた。

自分には何が向いているのか。

医者は無理だから医学部はない。

ぼんやり理学部か工学部か…

 

そんなときに受けたのがとある大学(覚えてない)の出張講義だった。

講義の内容は材料工学。

 

衝撃的だった

内容は今でも忘れない。

ダイアライザーと呼ばれる人工透析に用いる医療機器の説明。

そこから医療機器、医用材料のことしか考えられなくなった。

 

まあ察しの良い人ならわかると思うけど、根底にある興味はずっと医療だった。

でも医者以外の選択肢を考える前に医用材料に出会ってしまった。

 

東北大学の工学部に医用材料の研究を行っている研究室があることを知りそのままAO入試を受験し合格。

志望動機にもダイアライザーの衝撃と医用材料への熱意をつらつらと書き連ねた。

 

そして現役で東北大学工学部材料科学総合学科へと入学する。

 

・大学生活の異変と転機

工学部として半年間を無事に終えた。

工学部1年の後期には研究室を一つ選んでちょっとした研修を受ける講義がある。

僕は迷わず医用材料の研究室を選択した。

 

 

研修の日はわくわくしていたのを覚えている。

でも数日後に考えは一変する。

この人たち、材料工学の勉強してる!

※工学部だから当たり前です

 

受けた印象としては

・基本は材料工学

・題材として医用材料を扱っている

・医療系の知識は学べなさそう

※2週間やそこらしか見てない人間の印象です。あくまで個人的印象です。

 

このあたりから、自分が本当にやりたいことは工学部にあるのか?と思い始める。

 

そしてそのあとの大きな出来事がさらに自分の考えを変えた。

 

2011年3月11日

東日本大震災

当日は仙台のアパートにいて、友達と助け合いながら数日過ごしたが、

いろいろな事情から一度地元の秋田に帰ることにした。

 

仙台にいるときは、

電気がつかないガスも使えない

お風呂はどうしようご飯はどうしよう、となにもかも必死だったのに、

秋田に帰るとテレビ越しに被災地の様子を眺めるだけになっていた。

 

あれほどまでに目の前にあった現実がもはやテレビの向こうの世界に変わってしまっていた。

 

テレビ越しに被災地を見て震災のあれこれを体験した気になっている自分になんだか苛立ち、

現地にいて現実を見た自分は現場にいるべきだと思い、4月には仙台に戻った。

 

そしてその時の気持ちが

材料工学の医用材料を研究して間接的に医療に貢献するより、

現場で直接的に関わるほうがいい

という考えとリンクした。

 

これをきっかけに臨床の場で働きたいと強く思うようになった。

 

東北大学から東北大学

コ・メディカルやチーム医療に興味があったし、

高校のときの職業体験で検査技師を選択した(医用材料系が皆無だった)という縁もあって、

検査専攻に行こう!

 

とりあえず工学部のチューター(相談役の先生)に相談しに行ったんだけど、

そのときその場にいた他の先生の言葉が衝撃的

「ああ、医療系行くの、いいんじゃない?でもあの人達なんて僕らの技術がないと何もできないしそういう意味では僕らのほうが上なんだよ、もう少し考えたら?」※多少脚色あり

 

うるせえハゲ!※ハゲてたかは定かではない

なんだかすごく腹が立ったなああれは。

 

そんなこんなで転学部を決意。

東北大学は好きだったし、検査専攻もあるし。

 

2年目の終わりの転学部試験、結果は不合格

まあやる気ないから工学部の授業とってなかったしね!

単位足りないよね!

 

とはいえ、簡単な面接と工学部での単位取得状況の確認のみでの不合格に納得できず。

審査基準はどうなっとるんだ。

 

えーい!もう一回受験してしまえ!

点数がはっきりしてるし!ということで。

翌年の大学3年目、センター試験と2次試験受けなおしました。そして合格

※軽いノリで書いていますが紆余曲折ありました。

 

 

こんな状態だったので3年いましたが、実質1年と少しぐらいしか工学部生してません。元工学部と名乗るのもおこがましいレベル。

 

まあまとめちゃうと3年間仮面浪人してたってことになります。

東北大学から東北大学には入学できる!

 

・そして現在

今はこうして医学部保健学科として充実した大学生活を送っています。

 

自分の経歴を話すとよくこんな反応がある。

「えっ材料だったの?材料ってあのすごいところだよね?」

 

はい、あのすごいところです。

世界最大の学術情報サービス会社のISI社(現在のトムソン・ロイターのトムソン・サイエンティフィック)が2001年(平成13年)7月17日に発表した研究機関ランキングによると、材料科学分野における世界第1位は東北大学であった(過去10年間における論文引用件数を基準)。2006年(平成18年)4月の発表では、マックスプランク研究所に続いて東北大学は2位。 

 就職も引く手あまたで困らない。

 

材料だったことについてツッコんでくる人の反応はだいたいこうだ。

「材料だったの?へえ~(材料のほうがいいのにねえ)」

言葉にはしないが反応を見ればわかる。要はなんでいいほうから移ってきたのかと言いたいのだ。

 

 

その判断は何を基準に決めるのか、お金か?社会的地位か?

僕の価値観をあなたの価値観のものさしで測らないでほしい。

僕の価値観は自分のものさしで測って決めたのです。それでいいんです。

 

 

あとは、この決断をすごいと評してくれる人がいる。

でも自分ではすごいと思わない。

自分よりもっと大きな決断をしている人がいるから。

 

けれども僕はその人たちを見て、

「すごい、自分もがんばろう」

と思える。

 

だから僕の決断をすごいと言ってくれる人に恥ずかしくないよう、この選択に後悔はしていないと胸を張って言いたい。

 

もちろん焦りはある。同い年はほとんど社会に出て働いているし。

ただ後悔はない。

 

 

最後に、

なにか決断をするのに早いとか遅いとかは関係ないと思います。

ただ覚悟を持って決断するのが大切だと思います。

覚悟を持てば自然と後悔はしなくなるんじゃないかな。

だから裏を返せば、覚悟するまでは大いに迷って不安になっていいんじゃないかと。

人間そんなものじゃないですか。

 

ここまでの長文、ご覧いただきありがとうございました。